読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ズボンの丈が突きつける問題

 新しく手に入れたズボンを穿いたとき、ズボンの丈が余りに余った場合こう思わないだろうか「俺の足は規格外に短いのか知らん…」と。

 これ正に劣等感の誕生ですよ。日本人たるもの、足は総じて短いものであるが、日頃から「俺は足が短い、俺は足が短い、俺は足が短い」と脳裏に呪詛の如き劣等感に苦しみながら生きている日本人はそうそういるものではないし、知らぬが仏というように、気にしない問題は気にならないのが心というものであり人というものである、しかし新しいズボンに足を通したとき丈が余ろうものなら、普段気にしていない点が気になることとなり、気にせず問題にならなかった問題が問題になることになり、知らぬが仏の仏性を失うことにより人畜の類に落ちぶれ、ストレスなる内なる毒を育む忌むべき状態となるのである。

 今回一週間ほどの間に、ズボンが二枚も破れてしまう、というおみくじ引こうものなら末吉より下であったろうし、占いの類に関してはミソクソに叩かれるであろう呪われた一週間であったのであり、計らずも新しくズボンを購入せねばなるまいと店で購入しようとしたはよいが、そのときに「なんかこれ丈が長くね?」と感じ上記の如き運命に晒されたのである。

 しかし考えようによっては丈が短ければ問題の解決の糸口は見えないが、しかし大は少を兼ねるというように、長ければ折れば問題が解決するわけで、オーダーメイドではないのだから大量生産大量消費の現代社会において、長めに作るのがセオリーだったりして、などと自分を励ます内なる声が囁かれたり、そもそもズボンの丈は何を基準に作られているのであろうか、そもそもデブであればあるほど、腹囲に対する足の長さは相対的に短くなる傾向にあるわけで、デブであればあるほど丈はそもそも余るのかも知れないが、それでもやはり個人的に丈が余るのは屈辱以外の何ものでもないである。

 などと様々な疑問と推測と、そして恐怖とにおしくらまんじゅうされ購入したズボンに足を通せずにいたであるが、流石にいずれ穿かぬわけにはいかぬので今回勇気を振り絞り足を通してみたら…無事ピッタリだったんだぜ、裾から足が出たとき、同時に安堵の溜息もでたのである。